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こころ [書籍]

こころ

こころ

  • 作者: 夏目 漱石
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1952/02
  • メディア: 文庫


文豪、夏目漱石文が描いた名作。

親友を裏切って恋人を得たが、親友が自殺したために罪悪感に苦しみ、自らも死を選ぶ孤独な明治の知識人の内面を描いた作品。鎌倉の海岸で出会った“先生”という主人公の不思議な魅力にとりつかれた学生の眼から間接的に主人公が描かれる前半と、後半の主人公の告白体との対照が効果的で、“我執”の主題を抑制された透明な文体で展開した後期三部作の終局をなす秀作である。


漱石の中で一番好きな作品。ペシミスティックな視線から観る静寂とわびさび、あれでポエティックな趣に慣れていないざらざらした若者はあっさり憧れる、しかしながらって話です。

主人公と思われた若者はストーリーテラーとして配置され、割かれた文章量から読後はすぐに“先生”が主人公であることが分かる。彼の青春時代に起こった人の心の機微に通じ切れなかったことによる悲劇、友人のまっすぐな思いと出自による人格形成からくる精神的な束縛、それを救済するのに必要だった友情と愛情、そのすべてを裏切る行為をして得た現状、それについて静かな諦観をもって暮らしている彼にやってきた“光”というか“若さ”というか“客観”、それに照らされ、現状をより良くする場所への道の提示、それは現状と今までの生き方をすべて否定しなければ向かえない、そして彼は今までの“孤独”と“光”を比べることを迫られ、激しく苦悶する。若者特有の無邪気な振る舞いと純粋さ、妻の心遣いも加味され彼は“庇護者”になることを選択し、そして“救済”を求める。

作品としては超一流ですが、あくまで青春時代に読むべき作品かと。現状では先生ナルシズム勝ちすぎじゃないかなぁ、なんて。結局、そのある意味高邁な精神を維持するのには時代背景が変わりすぎていて(純粋に現在維持できている方は奇跡)、本当に過去にあった綺麗な寓話としてしか読み解けないんですよ。詩というか。こころの形を綺麗にして洗い流す、そんな効用があるような。

この文豪の作品の中ではかなりシリアスな部類に入ると思うんですが、やはり作り出す世界観と陶酔感で群を抜いている、そんな印象です。


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陽気なギャングが地球を回す [書籍]

陽気なギャングが地球を回す

陽気なギャングが地球を回す

  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2006/02
  • メディア: 文庫


作家、伊坂幸太郎が描くサスペンス。

嘘を見抜く名人、天才スリ、演説の達人、精確な体内時計を持つ女。この四人の天才たちは百発百中の銀行強盗だった……はずが、思わぬ誤算が。せっかくの「売上」を、逃走中に、あろうことか同じく逃走中の現金輸送車襲撃犯に横取りされたのだ! 奪還に動くや、仲間の息子に不穏な影が迫り、そして死体も出現。映画化で話題のハイテンポな都会派サスペンス!


この作品は最初に起こった出来事・・・いわゆるプロとしての失敗の汚名を晴らし名誉挽回するというような物語になっている。ただ、犯罪者同士のネットワーク内での汚名というような俗な話ではない。彼らの人物造詣はユーモアを持ちそれなりの職業倫理を持ち美学を持っているというもので、「金が惜しいのならまた銀行を襲えばいい、俺らはプロなんだから」というリーダーの意見を尊重し、まぁあちらも同業者だしななどとシンパシーすら見せる始末。そんな風にあっさりと片付け日常に戻ったはずが・・・。

一読して思ったが、とにもかくにもミスリードが上手い。いくつかの主軸となるエピソードを散らし、割と細かく分けられた章ごとにランダムに描いていく。それが終盤になっていくにつれ・・・という展開で。物語のテンポがよくスイスイ読めるので登場人物の魅力を描いているだけかと軽く流した部分に伏線が張られていたりと。結果的に犯罪者=ギャングたちの日常と彼らの人間的魅力を描いたという印象が強いんだが、キャラクターの魅力に依存している作品ではないというか。物語としてもきちんとした品質を保っている。

二転三転する展開の妙を魅せるのが趣旨なので、筋に沿った感想を述べると読んだ楽しみが薄れるかと。ただまぁ、登場人物たちの生活感の無さと妙に上品な立ち居振る舞い、そしてリアリティの欠如という点は相変わらず。物語の構成と散りばめられた伏線の収集具合の技術を楽しんだほうがいいかと。後は雰囲気を許容できれば。まぁあれこれケチをつけながらも読後感の良さもいつも通りなので。


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砂漠 [書籍]

砂漠

砂漠

  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 実業之日本社
  • 発売日: 2005/12/10
  • メディア: 単行本


作家、伊坂幸太郎が描く青春モノ

麻雀、合コン、バイトetc……普通のキャンパスライフを送りながら、「その気になれば俺たちだって、何かできるんじゃないか」と考え、もがく5人の学生たち。社会という「砂漠」に巣立つ前の「オアシス」で、あっという間に過ぎゆく日々を送る若者群像を活写。日本全国の伊坂ファン待望、1年半ぶりの書き下ろし長編青春小説!


今作はミステリという体裁すら取っ払い純粋な青春群像劇に仕上げたということらしい。北村という青年の視点を軸に、彼を取り巻く仲間たちとの大学生活を入学から卒業までという区切りで描いている。大学生活を社会に出るまでの猶予期間と捉え、冒頭にあるサン=テグジュペリからの引用どおりそれは社会という砂漠の中の“オアシス”として後の人生に機能する、それを描いてみようということらしい。

大学に入学した北村は自然と集まった仲間たちと日々を送る。調子がよく女遊びの激しい鳥井、やたら自己主張が激しく熱い西嶋、クールな美人の東堂、超能力を使える女性・南という面子は時折集まり特にこれといってドラマチックでもないやり取りを重ねていく。ついた離れたの恋愛模様や小さな冒険も感情の起伏のない主人公の語り口によって客観的に提示される。

こうやって書いてみると何が面白いんだと思われそうだが、正直今一つだったとしか言いようがない。描きたかったのはおそらく傍観者でありストーリーテラーとして冷静だった主人公が仲間たちとの出会いにより徐々に徐々に関係性を構築して行き喜怒哀楽を表現するようになりいつのまにか当事者として物語に組み込まれていくというような話なのかもしれない。ただまぁどの描写についても掘り下げが足りないような印象を受けるし描写そのものが大学生の最大公約数的エピソードばかりなので、読み手にある程度自分自身の過去や見識が必要になってくるような。主人公を通して大学生活を疑似体験させるという部分においてもなんだか凡庸すぎる。共感し楽しむには刺激が足りず、疑似体験するにはドラマが足りないというか。

作者の手癖である会話のとぼけた味わいや人間関係賛美の部分はかろうじて保っているが、情緒が無いというかTVのテロップ的というか親切というか・・・「ここはこういうことなんだよ」と説明するような描写や会話が目立ちすぎていてどうにも乗り切れない。とはいっても要所要所で的確な情景描写を挟み盛り上がりをきちんと作っている部分もあるのでこの薄っぺらさと味気なさは意図的なものなんだろうかとまた疑問が。それでもこの作家の書く作品の効能を信じて最後まで読み通したが、最後の締めで切れてしまい。とぼけなくてもいいんだよそこは。とぼけたことで安っぽさがもう大変なことに。

ぐいぐいと読ませる力はあるんだが、こうやって振り返ると騙されていたような気持ちになる作品でした。どうしたものか。


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意味がなければスイングはない [書籍]

意味がなければスイングはない

意味がなければスイングはない

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2005/11/25
  • メディア: 単行本


作家、村上春樹の音楽評論集。

作者が2003年~2005年まで、隔月刊の音楽専門誌に掲載した評論をまとめた作品。章ごとに取り上げるアーティスト(ミュージシャン)を決め、彼らについて主観を交えつつ語る、というような内容になっている。取り上げたアーティストは、シダー・ウォルトン、ブライアン・ウィルソン、シューベルト、スタン・ゲッツ、ブルース・スプリングスティーン、ゼルキン、ルービンシュタイン、ウィルトン・マルサリス、スガシカオ、フランシス・プーランク、ウディー・ガスリーという面子。ジャズ、クラシック、邦楽、フォーク、ロック、ポップスと幅広い分野から“主観的な好みで”選ばれている。

アーティストのキャリアについてまず語り、彼らが社会的に成し得た影響、音楽としての素晴らしさと(主観的な)欠点を述べるというような内容になっている。まぁ個人的なことかもしれないが、取り上げたアーティストがこの作者の手癖通り「名前は聞いたことがあるが実際耳にする機会がない」というような人たちばかりなので読み物としてはなかなか面白い。簡単にまとめてしまえば“自伝のダイジェストの集積”ということになるのだろうか。資料を基に書かれているので主観の入っていない部分を読んで作品に手を伸ばすのもよし、作者の思い入れと意見を読んで村上春樹のエッセイとして片付けるのもよし、という気楽な作品になっている。

この作品のタイトルについて作者はこう語っている。この作品のテーマのようなので、以下に抜粋。

「意味がなければスイングはない」というタイトルはもちろん、デューク・エリントンの名曲「スイングがなければ意味はない」(It Don't Mean a Thing, If It Ain't Got That Swing)のもじりである。しかしただの言葉遊びでこのタイトルをつけたわけではない。「スイングがなければ意味はない」というフレーズはジャズの神髄を現す名文句として巷間に流布しているわけだが、それとは逆の方向から、つまりいったいどうしてそこに「スイング」と言うものが生まれてくるのだろう、そこにはなんらかの成立事情なり成立条件なりがあるのだろうか、という観点から、僕はこれらの文章を書いてみようと試みた。この場合の「スイング」とは、どんな音楽にも通じるグルーヴ、あるいはうねりのようなものと考えていただいていい。それはクラシック音楽にもあるし、ジャズにもあるし、ロック音楽にもあるし、ブルーズにもある。優れた本物の音楽を、優れた本物の音楽として成り立たせているそのような「何か」=something elseのことである。僕としてはその「何か」を、僕なりの言葉を使って、能力の許す限り追い詰めてみたかったのだ。


ジャンルの違うアーティストを扱っていることで、各々切り口が異なっている。それは彼らの魅力をきちんと伝えようとするがゆえのアプローチだが、僕が最も興味を引いたのはスガシカオについて語った章だった。というのも・・・まぁご覧の通り僕は音楽レビューをするにあたり邦楽をメインにおいているわけで、それを敬愛する作家がやるとなればどうしても注目せざるを得ないわけでして。結果から言うと、「あぁ、僕は間違ってないな」と安心した。村上春樹が邦楽を語るにあたり重要視したのはやはり“歌詞”と“作り出された世界観”だったからだ。人間的な魅力(数奇な人生や社会的に成し得たことや音楽の革新性)という切り口からは攻められない以上そこしかない。様々なバックボーンとなる洋楽からの引用の集積を提示して現在の流行・・・というかメインストリームに対するアプローチの“角度”を賛美するというような器用な真似は出来ないのですよ。あくまで“主観”、1リスナーがCDを手に取りヘッドフォンで一通り耳にして感じた事を書き連ねているだけなのです。そしてそういった捉え方が間違ってはいないとこの作者はフォローしてくれてるような印象を受けるのだ。

取り上げられた各々のアーティストに対する興味がなく、僕のように「村上春樹の新作だから読むか」というスタンスで取り掛かってもある程度の面白さは保障している作品になっている。こういった形でまとめる事を前提にしているのなら取り上げるアーティスト自体の魅力を如何に伝えるかという力量を試される部分もあるが、そこを作者は既存のエッセイにおいての文体よりもかなり真面目に語りつつ個人の価値観も交えそれなりに読めるものに仕上げている。作者自身の魅力に寄りかかっていない部分は流石。


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翻訳夜話2 サリンジャー戦記 [書籍]

翻訳夜話2 サリンジャー戦記

翻訳夜話2 サリンジャー戦記

  • 作者: 村上 春樹, 柴田 元幸
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2003/07/19
  • メディア: 新書


村上春樹×柴田元幸の共著。

村上春樹と柴田元幸の対談集。タイトルに「翻訳夜話2」とあるが、前作とは基本的に別物になっている。過去の名作である「ライ麦畑で捕まえて」を村上春樹が翻訳し直した「キャッチャー・イン・ザ・ライ」という本についてのみの内容になっている。

「神経症的で若者的に純粋な高校生の男の子が社会的な偽善性や大人の価値観と戦う物語だと最初は思っていた」と村上春樹は述べている。しかし翻訳し終えた後「この作品の中心的意味合いはホールデンが自己存在を何処に持っていくかという個人的な戦いぶりなんじゃないだろうか。対社会ではなく」という風に認識を改めたらしい。この認識の変化について細かく掘り下げていくことがこの作品の大まかな内容になっている。

「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を翻訳することになった経緯、この本の歴史的な評価や世間への受け入れられ方、内容についての解説と作者の伝えたかったことについての考察、この作品がサリンジャーにとってどういう位置づけだったのか、口語体で書かれたホールデン節を翻訳した際の注意点、野崎訳「ライ麦畑で捕まえて」との対比、主人公・ホールデンの人物像、登場人物たちの象徴していたものについての推測、最後にホールデンは果たして精神病院に入っていたかどうか・・・などなど、村上春樹が語りに語っている。

前作であったような読みづらさは感じない。多数の聴衆に向けて語るという形をとった前作と違い、対談・・・というかもはやインタビューの形式をとっている今回では、取り上げていく事柄の一つ一つについて多角的な視点から検証し時代背景に言及しその影響について考察するという・・・語られる内容の細かさや充実度が桁違いだ。前作のような広義のテーマではなく一つの作品について語っている為でもあるし、その作品が歴史的な名作でネームバリューがある以上、それを翻訳した作家としては「ここまで理解したうえで翻訳しましたよ」という部分をある程度見せる必要があったのだろう。

ネタバレも躊躇無く行っているので「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を読み終えてから手に取ったほうが吉。


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翻訳夜話 [書籍]

翻訳夜話

翻訳夜話

  • 作者: 村上 春樹, 柴田 元幸
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2000/10
  • メディア: 新書


柴田元幸×村上春樹の共著。

この作品は柴田元幸と村上春樹が翻訳家としての姿勢や内実を語る内容になっている。前半では翻訳家志望の学生を交え2回のフォーラムを行った際の内容が記されている。翻訳家としてある程度キャリアを積んだ両者は、翻訳家としての、あるいは翻訳もしている作家としてのスタンスから感じた事を述べている。村上春樹は当時発表したマイケル・ギルモア「心臓を貫かれて」やレイモンド・カーヴァー「カーヴァーダズン」について触れつつ、翻訳する題材の選び方やそこから本業の小説を書くという行為にフィードバックされる部分などに言及している。

次の章ではレイモンド・カーヴァーの短編とポール・オースターの短編を村上・柴田両氏が翻訳した文が掲載される。因みにオースターの短編は映画「スモーク」の原作だ。1つの短編に2つの翻訳をしているわけだが、各々の翻訳の対比を読者に目に見える形で提示し、その文章を踏まえた3度目のフォーラムが開催されることになる。

3度目のフォーラムに集まった人々は皆プロの翻訳家で、読者と同じように村上・柴田両者の翻訳した2通りの翻訳と原文を手渡され、それを叩き台にしてあれこれと両者が語っていく。ここでは村上春樹がフィッツジェラルドやカポーティについてのこだわりを述べつつも、前回前々回とは違った掘り下げ方でより専門的で具体的な翻訳へのアプローチについて語る。

翻訳された外国の書籍を手に取る機会が多い方なら興味深い内容になっていると思う。普段気にも留めないが目にしている翻訳という作業が様々な思惑と配慮でなされていることが分かるはず。ただ、読み物としては今一つといった印象。企画は面白いが内容上会話形式なので読みづらい。基本的に両氏の翻訳した作品を補完する意味合いが強いので、作品を先ず読んでから手に取ったほうが吉 。


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夜のピクニック [書籍]

夜のピクニック

夜のピクニック

  • 作者: 恩田 陸
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2004/07/31
  • メディア: 単行本


作家、恩田陸の長編。

主人公たちが所属する高校の伝統行事である「歩行祭」。全校生徒が学校を出発し翌日の昼までひたすら歩き続け学校へ戻るイベントで、この作品はその一日分しか時間は進まない。しかし、その間に起こる出来事は主人公たちの人生を少しだけ良い方向へ導いてくれるのだ。

この作品は、2人の主人公である西脇融(とおる)と甲田貴子の視点で語られる。2人は同級生だが異母兄妹でもあり、そのことは学校では誰にも知られていない。西脇は浮気相手の娘で妹でもある貴子に憎しみにも似た感情を抱いており、貴子はそれを感じながらもフラットでいようと努力している。二人は同じ高校に居ながら3年間一言も言葉を交わしたことが無いのだ。歩行祭が終われば受験に突入しすぐに卒業してしまうと思った貴子は、このイベントの間に西脇と言葉を交わす機会を作りたいと望む。

たった一日の出来事ながら、上記の事柄を軸にしつつ登場人物たちの様々な思いが描かれ、それが終盤になっていくにしたがって徐々にあるべきところに落ち着いていく。主要な登場人物は皆魅力的で、友人関係における心の交流がみずみずしく描かれる。「先が気になる」と読み急ぐより、その時々の登場人物の、気の利いた・・・あるいは行き違う言葉と気持ちの応酬をゆっくりと楽しむタイプの作品だ。登場人物たちの気持ちが重なり主人公2人が徐々に通い合っていく様は独特の高揚感とさわやかさがある。終盤のカタルシスを綺麗に着地させており、読後感は晴れ晴れとしたものだ。

学生時代の良い部分を抽出した作品という印象。テーマ的に臭くなりがちな部分を上手く回避している。


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人生を救え! [書籍]

人生を救え!

人生を救え!

  • 作者: 町田 康, いしい しんじ
  • 出版社/メーカー: 毎日新聞社
  • 発売日: 2001/10
  • メディア: 単行本


町田康×いしいしんじの共著。

この作品は2部構成になっている。前半部分は町田康が人生相談に答えるというものだが、悩みの内容が一般的で普遍性のあるものが多く、それを受けて町田康が“笑い”の要素を最優先した回答を述べる。そういう形の一種の芸を見せるのが主旨のようなので真面目な内容は期待しないほうが吉。しかし、町田康の相談者への対応は丁寧なので「あなたが悩んでいるのはよく分かった。しかしあいにくと自分にはそれに答えるだけの技量がない。だからあなたの悩みをこちらは真剣に受け止めるが効果的なアドバイスは期待しないで欲しい」というようなスタンスに見える。その結果出てくる回答はどれも面白く、腑に落ちることも多い。

後半は町田康といしいしんじの対談で、東京の街を歩き回りながらネタを拾い話しをそこから膨らませていくといった構成になっている。人間観察をしたり店にあれこれ入ってみたり風景を楽しんだりしつつ対談を進めるが、そういった主旨なので話があちこち飛んだり視点が変わったりで多少散漫な印象も受ける。掛け合い漫才風のやりとりがベースだが、ネタにした事を真面目に考察する事を基本姿勢にしているようだ。それなりに含蓄のある部分もあるが基本的には気楽に読める内容。

相談者の悩みを笑いに持っていく際の配慮やバランスが絶妙で、町田康の真面目な顔をして適当なアドバイスをするスタンスが笑える作品になっている。


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猫にかまけて [書籍]

猫にかまけて

猫にかまけて

  • 作者: 町田 康
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2004/11/16
  • メディア: 単行本


町田康のエッセイ集。

作者が飼っている・・・もとい共同生活をしている/していた猫たちについてあれこれと語っている作品。4匹の猫が登場し、彼らと作者の微妙な関係を軽妙な語り口で表現している。エッセイという事で作者の語り口にはいつも通りユーモアが加味されており、猫を擬人化することで親しい友人との付き合いのような距離感があり、立場的に猫≧作者なエピソードが多い。しかし、単純に楽しい共同生活を描くだけでなく去っていく様もきっちりと描いている。

ヘッケという猫の章はもともと弱っていた彼を拾い看病するというものなので、そういう側面を見せようとしているのだなとあらかじめ分かった上で読むことになる。その為一面的な印象を受けるのだが、ココアという猫については序盤のユーモラスなエピソードから登場しその世界観で人物造形をされていた為、彼女が去るエピソードは思った以上に胸を打つ。文章が日記風に綴られているのも効いている。

全体的に観た場合、笑いと悲しみのバランスが上手く取れていて、この作家の作品としては稀な“愛情”をストレートに描いていることもあり、心温まる作品になっている。作者の自己劇化によるいつもの文体の調子が徐々に崩れ、素直な葛藤や慈しみの気持ちを吐露していく様は好感が持てた 。


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告白 [書籍]

告白

告白

  • 作者: 町田 康
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2005/03/25
  • メディア: 単行本


町田康の長編。

町田康が読売新聞に連載していた小説の書籍化。誌面ではいわゆる“打ち切り”のような形になり、結末を読みたければ本を買ってね!という商売のような体裁になってしまったようだ。因みに連載時は版画の押絵がありそれが相まって独特の世界観を構築していたようだが今回の書籍化にあたって押絵は省かれている。

史実でもあり俗謡にもなっている「河内十人斬り」という事件を、作者独自の文体で構築している。主人公の城戸熊太朗を幼少時代から没するまで丁寧に描き、しかも彼の主観的な視点をかなり導入することで作者の作風に引き寄せている。今作では主人公の魅力や人となりを描く延長線上に事件が位置するという風に描いてある。

主人公が幼少から違和感を感じつつ処世を行い、徐々にずれていき社会不適応者になり、排他的なムラ社会の人間関係の中で鬱屈した思いを抱き、最終的に犯行に至り、その後逃亡生活を送るまでを描いている。しかし作品の雰囲気は明るく、主人公の日々の生活のそれなりの楽しさもきっちり描いてあるのでさくさくと読める。むしろ、最後の犯行部分は蛇足と思えるほどだ。

作者は主人公の人物造形を非常に丁寧に行っており、彼が現実から落ちこぼれていく様を読者に納得できるように描いている。それも、社会的に抑圧されていたという画一的なものではなく、そこへ至るまでの心の機微に焦点をあて、落ちこぼれ世をすねた後の社会との適応まできちんと描いてあるため、この作者特有の主人公である弾かれ者という線も踏襲してあるのだ。

しかし史実ということもあり、主人公を描く際どこか距離を置き敬意を表している部分も散見される。弾かれ者の悲痛さの表現が幾分マイルドなのは、大正だか明治だかの共同体意識の強い時代設定も関係しているのかもしれない。

結局、この作品はアウトローの立場から観た社会と処世を中心に描いている。そこにはその立場なりの悲哀があるが、その立場の“メリット”もきちんと表現されている。


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