SSブログ

3×3EYES [漫画]

3×3(サザン)EYES (1)

3×3(サザン)EYES (1)

  • 作者: 高田 裕三
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1988/10
  • メディア: 新書


漫画家、高田裕三が描く“悲哀”。

長期的に連載された作品で、独特の世界観で人気を博した作品。

高校生の主人公は街中で車に轢かれそうになった女の子を見てとっさにかばい代わりに轢かれてしまう。つまり死んだわけだが、助けた女の子が・・・まぁいわゆる人外の生物・・・妖怪で、彼女の計らいで命を取りとめる、と。三つ目の目を持つその少女は2重人格で、普段は三つ目の目は閉じていて普通の女の子、つまり日常。しかし、三つ目の目が開いたとき、まぁありたいていに言うと大人目線になると。で、主人公は彼女に命を預かってもらい・・・つまり、何があっても死なない、どれだけ身体にダメージを食らってもあっというまに自己再生能力で元通り、という。それには理由があり、主の女性はあれこれと魔法のようなものを使えるが使うのに身体的な疲労がありしばらく日常モードになってしまう、その際に大人モードで争い恨みを買った輩から襲われたら勝ち目が無い、そこで“ウー”と呼ばれる主人公のようないわゆる奴隷めいた従者を作り出し、彼に回復するまでの間守ってもらう、そういうシステムらしい。主人公は普通に彼女に恋愛感情を持つが、いかんせん彼女は日常モード・・・つまり建前でなく三つ目モード・・・本音では従者として見ており、彼をあれこれ使役すると。つまり“役割”だけで動く。そして、日常を維持しようと振舞う主人公・藤井八雲は周囲から畏怖の念を持って見られていく。つまり人間から妖怪へ変化した彼に対応できない・・・日常ではいられない、そういう視線で見られ、彼は命を預かった女性のために働くという宿命を全うせざるを得なくなる。妖怪である主人を通して観るシビアな世界観、それに情と社会的なモラルと性格で何度も訴え、何かしらの目的を貫き通す主人に制裁をくらい使役され戦わされと。この作品の特色として、主人が2重人格で、日常モードでは普通にラブコメをしているという部分。つまり彼はその部分で彼女に惚れていて、旅の先に“妖怪”である彼女が人間に戻れるときが来るという話を信じて、そのあかつきには恋も成就するだろうという希望で現状を肯定しているわけで。

この作品は長期連載で何部かに分かれているが、初期のほうが叙情的で作品としては格が高い。一番面白いのは2部。1部の結末で主人と主人公ははなればなれになり。探すも出会ったときの主人は、三つ目を封印され、第三の人格が発露していて。つまり2重人格ではあるが、元の人格の一つは消されていて。以前の高圧的で攻撃的で目的のために滅私している哀しい女性は封印され、三つ目が開眼したときはやんちゃな少女の人格が。彼女を見つけまた旅を共にし。1部で彼女が封印された理由、それは従者のふがいなさと敵である同じ三つ目の従者“ウー”の実力の高さで自分のウーを殺さないでくれと命乞いしたゆえのことで。主人公はそれを知り無力感にとらわれ2部で主人と出会うまでにさまざまな技術を身につける。幻獣を召還して攻撃してもらうという呪文をいくつか覚え。これは呼ぶ代わりに寿命を持っていかれるので、不死のウーしか扱えない術で。しかもそれを開発したのは主人の敵方のウーである男で。つまりこういうことなんです。三つ目の妖怪がウーを従者にする際、つまり雇う際は守ってもらうという目的があるので強者というか技術を持っている人間を選ぶ、しかしさまざまな事情が絡んで情でなんの実力も持たない単なる高校生をウーにした、それに気づいた主人公が貢献しようとあれこれ技術を身につけ主人を捜し当てたら相手はある意味死んでいたと。成果を認めてもらおうと思った相手、主人の人格は封印され、別の人格に支配されていて。その主人を捜し当てる、つまり封印を開放するための旅路になると。その果てにまた敵側のウーと対峙し、彼の策謀で第三の人格は植えつけられた、今話しているお前は実は身体は別にある、封印を開放すれば今眼前に写っている現実は夢になる、それでいいなら封印を開放しようと述べられ。ようするに、他の人間が乗り移り・・・ドラマで言えば同じ役柄を途中から別の人間がやっていて、相方の望みを叶えたければお前は元の役者と交代するしかない、そう言われ、それでいいと頼み込むと。そういう話なんですよ。

妖怪に属性が変わった主人公が日常・・・成長が止まり年を取らず不死な彼・・・、人間としての価値観を捨てきれない悲哀、そしてそれすらもウーの本質、そんな主人公が恋愛やら友情やらのモラルを維持しつつ、置かれた状況と環境と運命を享受するという話で。主人を守るためのモチベーションが、宿命を受け入れたゆえの役割を全うするプロ意識ではなくあくまで恋愛感情からという人間性から、そういう部分がまた涙を誘うというか。

文化圏もモラルの定義も社会規範も・・・ようするに完全に相容れない2つの属性をシフトした男が見る風景。そんな話です。


nice!(1)  コメント(47)  トラックバック(1) 
共通テーマ:blog

DRAGON BALL [漫画]

ドラゴンボール (巻1)

ドラゴンボール (巻1)

  • 作者: 鳥山 明
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1985/09
  • メディア: 新書


漫画家、鳥山明が描く摩訶不思議アドベンチャー。

山奥に住む怪力で、メチャクチャ元気な孫悟空。ある日悟空は、七つ揃うとどんな願いも叶うという、ドラゴンボールを探すブルマに出会う。彼女とともに、悟空もハラハラドキドキの旅へ出発する!


現在の漫画の規範とも呼べる作品。人気/知名度共に高い。山奥で祖父と暮らしていた少年が、祖父の形見である四星球(スーシンチュウ)と呼ばれるオレンジ色のガラス球を持ち里に下りる。その球は7つあり、世間ではドラゴンボールと呼ばれすべて集めると神龍(シェンロン)と呼ばれる龍が現れ1つだけなんでも願いをかなえてくれる、そんな言い伝えが残されていた。最新の科学技術を持つ家庭に育った女の子・ブルマはドラゴンレーダーなるものを開発しドラゴンボールを探す旅行中。悟空と出会い、四星球をどうにかして手に入れようと画策、あれこれあって2人は旅を共にする。

序盤はドラゴンボールを探す旅がメインになる。山から下りてきたばかりの悟空の世間知らずさ/田舎ものっぷりと西の都と呼ばれる首都で裕福な家庭の“ピチピチギャル”であるブルマとの文化と背景の違いを軽く笑いに変換、と。その後武芸の達人だった祖父という伏線が収拾され、“強さを極めていくこと”がこの作品のテーマになっていく。漫画の一ジャンルともいえる“バトルもの”を開拓することになった“天下一武道会”という武道のトーナメント戦、そしてどこか抜けた人の良さが売りだった中盤までから一転、悪意の象徴としてピッコロ大魔王が登場し、前作「Dr.スランプアラレちゃん」テイストが完全に払拭されオリジナリティが現出する。

ドラゴンボールは初期の“宝玉”という視線から“道具”へ変わり、修行と闘いがメインになっていく。キャラクターの闘いの表現や独自の技など強さの質の比較やら、強大な敵が現れることで以前の敵と共に戦っていくことになる部分、そういうものがパターン化していき・・・いわゆる強さのインフレというやつだが、その為物語としてはフリーザ編で終わる。後は焼き直しという印象。あの時点で人気は絶頂だったので新展開は特に求められていなかったのかもしれない。闘いのスピードやキレと修練の成果を見せるだけというか。

それが最後になって変わり。気弱で知名度の高い一般人や一度仲間になったベジータの苦悩、強さを極めたゆえの主人公の代替わり、地球の危機という今までシリアスに捉えていた事柄のコメディ化、そして“社会性”の提示。連載期間や巻数を考えると、よくここまで話を発展させたなぁという印象。最後に強さと日常へのコミットのすり合わせが行われ、孫悟空だけは非日常へ“帰る”。結局、今までの登場人物とは違うという1巻の立ち位置へ戻るということだが。

漫画とはかくあるべきというような“お手本”ですかね。


nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

花とみつばち [漫画]

花とみつばち (1)

花とみつばち (1)

  • 作者: 安野 モヨコ
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2000/04
  • メディア: コミック


漫画家、安野モヨコが描く“男性”を主人公にした青春モノ。

お待たせっ!あの安野モヨコが青年コミック初降臨。みんな知りたい女のコの秘密。モテたいけれどモテないアナタ。この1冊でギャルのハートがわかるかも!?本当のモテは果てしなく遠いぜ……。


女性を主人公にして面白おかしい青春群像劇を描いていた漫画家が、青年誌に初連載した作品。テーマは分かりやすく精神的な成長に目覚めるまでの学園モノ。

主人公の高校生・小松はクラスで地味系としてカテゴライズされ、はっちゃけた女子から時折潰し気味にいじられている男子。女子の中で目立っているサクラ(真面目な本音を語る役割)からあれこれ諭されつつ、現状に不満を感じ「これが俺の人生か」と分かりやすく苦汁を舐めている。そんな彼が・・・まぁありたいていに言うとクラスでの地位を上げたい、それにはモテることが一番の早道、そしてそれに不可欠なのは見た目を磨くこと!という安野モヨコアプローチで強引に話が進んでいく。この漫画家の場合、現実的に女性の立場によって誰をどう見るかというのを非常に細かくきつめに提示するので、正直序盤は単なるいじめとしか思えず。これを等身大で読んで笑えるのは真性のマゾというか。社会人になる前に男たちを手玉にとり腰掛としてエステサロンを経営している美人姉妹に会ったのが運のつき、虐待にも似たしごきを受けしかも見捨てられ。少し努力の成果が出て周囲の女子のリアクションがよくなったら純朴系の偽装をした女子に捕まりめちゃくちゃにやられ。女性と付き合うことのリスクをひたすら描き続ける。人の良さだけで生きている小市民の主人公はその度潰されるも自分の性格だけは変えられず・・・ようは嘘がつけない損な性格/勘違いできない損な性格ってことだが、その上妥協も出来ずひたすらいじめられ奔走すると。

漫画家自身連載終了後述べていた通り、実はこの作品の主人公が途中でどうでもよくなり適当に展開していたらしい。そんなしょうもないモチベーションで編まれながらも男性側からの成り上がりという物語の輪郭は一応壊れていない。学内で地位の高い女子と付き合い(美男ぞろいの)元彼と対等な立ち位置に立ったことによって見える光景に唖然とする小松を仔細に描いているため、学園モノの恋愛ドラマとしては“リアリティ”という点で群を抜いているかと。

女にモテるためというモチベーションで最後まで突っ走る主人公は結果的に自分の人生を開くための見識を与えてもらったことに気づかない。ただただひたすら突っ走り、自分が自分の人生をコントロールできるまで上げてもらった事も分からず、先へ進んでいく。今まで彼を苛め抜いてきた女性たちが物事の本質を率直に教えてくれていたこと、それを説明しないのがこの漫画家の特質というか。読むと痛いんですが、教科書ってことで。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

おひっこし [漫画]

おひっこし―竹易てあし漫画全集

おひっこし―竹易てあし漫画全集

  • 作者: 沙村 広明
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2002/06/21
  • メディア: コミック


漫画家、沙村広明が描く“人が死なない漫画”

「愚痴っぽくて刹那的。おせっかいなくせに傷つきやすく。経験ないのに知ったかぶって。でも、まっすぐだったあの頃に、もう一度戻ってみたくなりました。――ナチュラル沙村ワールド万歳!!」


類まれな表現力と画力でデビュー直後から評価を得て、そのデビュー作「無限の住人」が長期連載中の漫画家が、商業誌に載せた初のコメディ。デビュー作に独創性がありすぎてイメージが固定化するのを嫌ったためかと。記号的にばたばたと人が死んでいくハードボイルドな作品とまったく同じ絵柄で掛け合いの妙と風刺とこの絵柄で甘酸っぺえ!というシチュエーションギャグ(に見えました、すみません)、絵柄の風通しのよさはこういう使い方もあるんだなぁと感心した作品。

大学の飲み友達同士のついたはなれたを主に描いていて、あちらの作品では適当にお茶を濁していた“会話”、言葉数を少なくして言葉の重みを増すというタイプと真逆の、切り返しや間やどれだけ上手いことを言えるか・・・で、日常なものだから会話の“負け方”みたいなものも少し提示していて。作者のメタ視線によるモノローグやらあの絵柄で当時流行ったハロプロの方々を描いてみたり(これがまた似ている)・・・ようするに、“旬”というか賞味期限の短さをいとわずに、風化することを前提に描いていて。ただ、今読むとなんというか、流行が沈静化した話題も質の違う面白さが。これは思うに単に鮮度を上げるために取り入れたわけではなく、旬の話題の使い方が上手いということで。シチュエーションや会話のもって行きかたで物語の形に上手く沿っている。

1巻で完結だが、青春モノとしてはかなり面白いかと。テイストが知りたいのなら、QJで連載しているショートショートを読んでもらえれば。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

お茶の間 [漫画]

お茶の間 (2)

お茶の間 (2)

  • 作者: 望月 峯太郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1992/06
  • メディア: -


漫画家、望月峯太郎が描く成長記。

人生をコントロールしようとしても、スキをうかがって何かがそっと忍び寄る。花井薫と苑子君の愛のお茶の間は大丈夫!?大人気の結婚&お仕事マンガ


この漫画家の代表作「バタアシ金魚」の続編。前作は主人公が思い込みの激しさとリアクションの面白さで意中の女性に付きまとい、素顔で通しているヒロインがステレオタイプな価値観を守るためばっしばしと叩きまくるというわけの分からないコメディだったが、前作と今作の間になにがどうなっているのか理解不能ながらもその恋は結ばれ同棲中という。そんなシチュエーションから始まる物語。

“幸せな家庭を築きたい”そんな分かりやすくステレオタイプな価値観に毒され、プロになることを期待されていた大学の水泳部をあっさり辞め大手デパートに勤める主人公だが、あまりにも社会性が無さ過ぎて同僚はアイデンティティクライシスに陥る。俺のやってきたことはなんだったんだというか。ノリで勝負するなら負けないわよと対抗する女性上司すら出てくる始末で。そうは言いつつもモチベーションの起因が彼女と幸せな家庭を築きたいというものなので、こちらも全力で叩けないというか。そんな周囲の視線を省みず何かを成し遂げた感でいっぱいの主人公は、過去の清算やらで理屈でものを考えることを迫られる。

通して読むと、物事の表面だけを見て単純化することで処世を行い突っ走っていた主人公が人間の心の機微に通じていく作品という印象。ストーリーは一応あって描き方を変えれば普通にいい話なんだが、この作者の全力投球が炸裂し絵的に如何に面白いか、それだけを追求していて。だから大人が観ればそれなりに分かる年齢層高めのちびまるこちゃんというか。社会は厳しいが我を通してみると結構面白く生きられるかもしれない、そんなエールです。

お茶の間 (1)

お茶の間 (1)

  • 作者: 望月 峯太郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1992/02
  • メディア: -


お茶の間 (3)

お茶の間 (3)

  • 作者: 望月 峯太郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1992/08
  • メディア: -


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:blog

Blow Up! [漫画]

BLOW UP Vol.1 (1)

BLOW UP Vol.1 (1)

  • 作者: 細野 不二彦
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 1989/08
  • メディア: -


漫画家、細野不二彦が描く成長記。

就職しても、ひたすら下働き、他人の尻ぬぐい!それより、オレァ!!みゅじっしゃんになるんや!!好評ヒューマン・ジャムセッション!!


作品ごとに取り上げる題材を変え、それをある程度掘り下げ提示することで有名な漫画家の過渡期の作品。代表作としては「ギャラリーフェイク」だろうか。ピカレスクロマンを日常に落とし込んだ秀作だが、あちらが・・・なんというか完全な大人の視点、分かりやすく言うと感情を排した生き方をしている人間が徐々にバランスを取っていくという作品(完結したため言える結論)、そこから観た世の中の提示であったのに対し、こちらは青春群像劇になっている。

主人公はジャズミュージシャンを目指し下積みをしている若者。彼が社会的地位も積み上げた人間関係も金も女もすべてかなぐり捨て、ただひたすら夢を追う。現れる過去の人々は夢を追うことの困難さとあきらめを諭す。書くと安易だが現実を踏まえた展開なので、これほどの犠牲を払わなければ難しいという分かりやすい提示になっている。自分が感じていた居心地のよさ・・・つまり趣味を“体現”することの困難さ、最初に感じていた技術の研磨への必要性やらの葛藤は、すべて先達からの提示によって真実を知ることで理解の誤差を修正される、と。つまりさくさくと事実を教え駆け足で導く、そんな話なんですね。それに見合うしぶとさというかタフさというかそれを持っていることを一応確認し、という話で。スタジオミュージシャンは仕事をしてみて仲間と認め、同じ夢を観てあきらめたバイト先のジャズバーのマスターがそれとなく試していき、結果的に、と。

ミュージシャンが成功するまでを非常に凝縮しかなりディフォルメした物語なので2巻で完結、と。絵柄と演出が過渡期ゆえに少々古臭いんですが、本質はとくに変わってないかと。このモチベーションを維持できるかどうか、それを問われる作品。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:blog

機動警察パトレイバー [漫画]

機動警察パトレイバー (11)

機動警察パトレイバー (11)

  • 作者: ゆうき まさみ
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2000/11
  • メディア: 文庫


漫画家、ゆうきまさみが描く近未来お仕事ドラマ。

近未来の社会、そこでは既存のフォーマットに新たな“価値観”が導入されていた。開発された新たなオペレーティングシステム、それが広範に普及し結果として・・・えーとまぁ端的に言うと土木建設業に使用されるパワーショベルから警察で使用されるパトカーまでより細かい作業が出来るようになったと。姿かたちは変われども端的に言えばそれだけなわけですが。そして、そこから標準規格ではない警察専用のOSを製作し導入し2足歩行の“パトカー”が作られる、それがいわゆる“パトレイバー”と呼ばれる見た目がロボットなパトカーであり。これは既存のOSの普及による機材の高性能化によって、犯罪を防ぐことが困難になったため開発された“試作機”で、その為テストケースとして・・・まぁ言い方は悪いんですが実験的に試用期間を設けた、と。仕事振りには定評があるものの上から下までやる気ゼロ的評価を得ている中間管理職を頭に据え、後は専門学校の生徒で構成された下部組織・特車2課が設立され、分かりやすく郊外の“何が起こっても直接都市部には影響はない”そんな場所に警察署が設置される。主人公・泉は何も知らされず適正試験を受けパトレイバー1号機・通称イングラムの搭乗員を任される。この作品はそこからの“お仕事ドラマ”ということなので。数話完結で“ロボットドラマでいかにリアリティを着地させるか”そういうようなテーマで物語が編まれている。

ニュースで「あの彼らが久しぶりに役に立ちました」と報道されるように、普通につまはじきモノというかなんというか・・・分かりやすく規格外ですと公共の電波を通してアナウンスされており、それに見合わない、つまり現行の警察の威信を保つため汚れ役を引き受けているというか。しかもテストケース。これは彼らのデータをOS開発者が反映し物語の最後に標準機/普及機として新型の機を提供するエピソードでもうかがえる。ところがその機材はまったく役に立たず。簡単に言うと、結局は(パイロットの)“経験”、それだけがよりどころでしたというか。仕事仲間のモチベーションの維持や葛藤やなにやらあれこれ描いていくが、敵方のポジティヴ偽装をした彼らなりの倫理観を打ち崩すにはステレオタイプなモラル、つまり相手への倫理観の修正が必要になっていくという。敵の偽装は完全にすべての理屈を覆し、“内海”率いる一派のピーターパンシンドローム的主役感と、“後藤”率いる主人公たちの社会的な素の視点の拮抗、そして端的にだらだら仕事をしていた主人公たちの“ユルさ”、それに負けてしまうという。内海と後藤は表裏一体であり、同じスキル(処世術)を持ちながら観ている視線がネガかポジかという。見た目と振る舞いから受ける印象が実は逆、その辺がこの作品の面白いところというか。暇なら読んで欲しいなぁと。


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

NARUTO [漫画]

NARUTO 巻ノ32 (32)

NARUTO 巻ノ32 (32)

  • 作者: 岸本 斉史
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2006/04/04
  • メディア: コミック


漫画家、岸本斉史が描く忍者漫画。

現在の掲載誌の看板漫画の一つ。丁寧な絵柄で描く成長記というか。途中までは追っていたが購読を止めたのでそこまでの話ということで一つ。

主人公・ナルトは木の葉隠れの里と呼ばれる国に属している学生。忍者学校では落ちこぼれであり、一人暮らしをしつつ国のトップである“火影(ほかげ)”という座を夢見ている。彼は古代にこの国を滅ぼそうとやってきた妖怪・九尾との戦争の際、術者たちが最終手段として人間の赤子の身体にその身を封じ込めたヨリシロ、いわゆるイケニエの成長した姿だった。それゆえに周囲から忌み嫌われ孤独に生きるも何故なのか理解できず一人で活発に生きることでアイデンティティを保ち、と。落ちこぼれの彼を地味にフォローし続ける担任である中忍のイルカ。この里における階級は上忍、中忍、下忍と分かれていて基本的に任務のランクによって仕事を振り分けられる基準となっているが、イルカはその職の中でいわゆる事務・・・昇格試験などの審査官や教師として学校で教鞭をとる、そういったことをしていて、ナルトにあれこれ世話を焼いてやると。そこで資格を取り卒業し晴れて下忍になったナルトは初めての職務で役割を決める試験を受ける。上忍と下忍のスリーマンセル(3人組)でチームを構成し任務に当たるというこの国の規約、そこで人のいい中忍のイルカから広く名の知られた上忍の“写輪眼”を持つカカシにナルトは託される。「イチャイチャパラダイス」というこの国のトップである伝説の“三忍”の一人が魂込めて書いているエロ小説を愛読書にしている感情の読めない切れ者、と。ちなみに“写輪眼”という特殊能力、戦った相手の術を見切り自分で使いこなせるようにするというものだが・・・・。そんな彼の指導の下任務をこなしていくが、組んだチームにサスケという実力者が。同系の血筋に伝わる特殊能力“写輪眼”を継承する家系だが兄が実力を求めるあまり少数精鋭の策謀組織に行きその試練として一族を皆殺しにする際サスケだけは情で生かしておいた。そういった哀しい評判で有名なレッテルを貼られているという出自ながら天才だと。ということは、その家系でない師のカカシが何故彼の家系でしか継承されない“写輪眼”を持っているか。その辺りはサイドストーリーが編まれているので割愛。序盤はそういった任務をこなしていく。忍者という仕事の厳しさと残酷さを知らしめるという意図があるような無いような。

中盤は中忍への昇格試験が主軸となる。3段階に分けられた試験、筆記、実技、面接・・・まぁ普通に社会を踏まえているが、2次試験のサバイバル・・・決められた時間内に目的地へ“3人”でたどりつく、その試験官であるポジノリながら実は暗黒テイストという上忍アンコ・・・この国を滅ぼそうとした元“三忍”の一人、大蛇丸の弟子でありながら母国へ戻り職務に就いている触れると痛いセクシー系姉ちゃんキャラの上忍、彼女の仕切りのもと他の十数組のチームと出し抜きあう試験が。その後は地道に性格付けをしてきた登場人物たちが一対一で戦うという“技術の競い合い”が行われる。忍術といえば初心者の術である“分身”の術しか使えないナルトが、多数の術を持ち、あるいは術そのものの強力さでアピールしている相手に工夫だけで勝って行くという。

展開はどんどんと個人レベルから国自体の存続レベルに挙げられていき。現在はどうなっているか知る由も無いが、コントロールできないものの妖怪の九尾を封じ込められたゆえに時折乗っ取られ実力以上の力を発揮するナルトは里から“危険”だと判断され、“三忍”の一人・・・小説「イチャイチャパラダイス」を書いた人だが・・・、自来也というフリーの忍者に託される。彼に師事し・・・まぁ要は個別指導ってことだが、共に旅に出て分不相応な“技”を一つ習得することと身体能力の標準化を課せられ。それと並行して・・・つまり主人公は“不在”、いままで人物造詣してきた登場人物の“群像劇”にシフトする。悲劇を象徴するサスケの物語が中心となり、彼が“三忍”の一人・・・あれです、ナルトの師とスリーマンセルを組んでいてアンコの師である大蛇丸、彼の陰謀に加担することを迫られる、と。

この辺りまでしか読んでいないが、兄への復讐のため自分の意思をまっとうしようとするサスケと情で動くナルトが対峙し、各々の得た実力で闘い。お互いの師である上忍・カカシが止めに入るも勝負はつき後の祭り、落ち着くところに落ち着いてしまっていたというか。掲載誌のほうでは確か名実共に中忍になったナルトが母国・木の葉隠れの里に帰り、また新たな展開があるようで。

この作品の魅力だが、人物造詣が非常に上手い。一個人の想像力を超えているというか。カブりがちなキャラクターでもきちんと差異を持たせている。それも画力に依存したものではなく“性格”で表現してあるというか。そしてその性格が彼らの技術に直結していて・・・まぁようするに“忍者というのはメタファー(比喩)だよ、社会の空気をつかんで提示しているだけ”と・・・まぁ常識というか漫画を読む目的をまっとうしただけなのかもしれないが、この作品はそれを非常に丁寧に分かりやすく諭してくれるというか。結局作者の人柄・・・“優しさ”で現実を見る角度を少し修正してくれる。その“バランス”が本質、と。画力は漫画というカテゴリで追求できる暖かさやディフォルメやらで“娯楽”を追求し、広範な意味での物語に“リアリティ”を持たせてある、それが。どちらも“肯定性”と“安心感”と“哀しみ”、そういう意味合いでかなり高品質な作品だと思います。個としての輪郭をどれだけはっきりさせるかが表現者としての成長、それがテーマかと。機会があれば再読してみようかと。

えーと、画像はナルトを適当に相手している肯定派のスリーマンセルです。


nice!(0)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

Happy! [漫画]

Happy!―完全版 (Volume13)

Happy!―完全版 (Volume13)

  • 作者: 浦沢 直樹
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2004/06/30
  • メディア: コミック


漫画家、浦沢直樹が描く“YAWARA!”

主な登場人物/海野幸(両親に先立たれ、3人の弟妹を育てる健気な娘。2億5千万円の借金を返すためプロテニス選手の道へ)、竜ヶ崎蝶子(竜ヶ崎財閥の令嬢。実力も兼ね備えたテニス界のアイドル。だが、その本性は…)、鳳圭一郎(鳳財閥の跡取り息子。幸の初恋の相手)、桜田純二(「ビッグバンファイナンス」営業主任。幸の借金取り立て担当)●あらすじ/全仏オープン2回戦。蝶子は無敵の女王・ニコリッチから第1セットを先取し、次のセットも3-0と優勢に試合を進めていた。奇跡を予感して、興奮に包まれるマスコミや観衆たち。だが、幸のバックにいる鳳唄子やサンダーは、女王のプレーを狂わせた本当の理由を悟って…(第203~4話)。●その他の登場人物/サブリナ・ニコリッチ(女子テニス界に君臨する女王。今回のウィンブルドンを最後に引退を表明)、サンダー牛山(幸のコーチ。飲んだくれで手クセも悪い)、鳳唄子(圭一郎の母。鳳テニスクラブの総帥)、賀来菊子(蝶子と並ぶ女子テニス界の新星だったが、暴力事件を起こしてプロ資格を失う。幸の理解者)、鰐淵京平(桜田の親会社の社長。欲しい物はすべて金で手に入れる主義)、弁天橋雛(圭一郎の結婚相手に選ばれた女性。胸が大きい)、海野家康(幸の兄。海野家の莫大な借金を作った張本人)、舵樹・沙代里・三悟(幸の弟妹)


当時並行して連載されていた「MONSTER」と対を成す作品。あちらは医師が、彼のアイデンティティである「偽善性」から本当の意味合いでの「善意」へシフトするさまを魅せる、そういう作品ですが、この作品とテーマは同じ。「不遇の人物へのエール」です。

ぼろアパートで細々と暮らしている3人兄弟。父親、つまり“自分のせいではない”借金のために借金取りにひたすら追い込みをかけられ続けている。そして主人公の高校生・海野幸はテニスプレイヤーとしての才能がありながらも生活に追われていると。裕福な先輩のまったくしがらみと世間を知らない配慮に戸惑い、借金取りとして派遣されたお人よしのやくざ、この2人が彼にとっての物語上の恋愛という軸の一つでの3角関係を“演ずる”ことになる、と。主人公は古典的な耐える女性を演じ、ひたすら“借金を返すために”奔走すると。まぁありたいていに言うと“債務者”と“債権者”という世知辛い環境におけるなんだかわけの分からない関係性、長いこと関わっているうちに“金を返してもらうため”という題目から情が移り“恋愛”という・・・まぁいわゆる仕事からプライベートってことですか、そういう風になっていくと。裕福な家庭に生まれながら上昇志向の強い女性の嫉妬と策謀で何度も窮地に立たされ・・・そんな事情なんて何も知らず主人公は“プレイヤー”として才能を発揮するだけだと。

この作品の面白いところは、主人公自身は完全に“蚊帳の外”ということで。周りの人間たちだけが相手の事情を知り・・・それが彼女にとってメンタル的にまずい、スポーツ選手のモチベーションを下げることになる、それは借金を返すことの妨げになり、営業妨害であり・・・、正直聞いてられないほど残酷な話だと。あれこれ建前つけているが彼女のテニス選手としての1ファンであり、それゆえに彼女の才能を潰したくない、それで彼女の生活という枠組み・・・上の思惑や個人の思惑や周囲の“彼女が好意的な人物”・・・つまり、彼女の価値観を絶対に崩さないように画策する。単に借金苦の女性である、そう思わせることがある意味“幸せ”だと。裏を見せたくないというある種の“善意”なわけでして。

その甲斐あって彼女は与えられたチャンスにひたすら挑戦し勝ち残っていき・・・結局“しがらみ”をすべて“実力”で跳ね除ける、そういうサクセスストーリーを描き出したと。そして恋愛というサイドストーリーでは・・・男性陣が彼女の“世界観”を守るために情報を意識的にシャットアウトし、“日常に根ざした回復可能な夢”を見せてあげると。

そして、結末は“恋愛”という物語は壊れ、“人生”という点では軌道回復し。こうやって書いてみるとハートウォーミングストーリーと思えるが、この作者の手癖として“哀しい諦観を混じえたシビアな現実の提示”というものがあって。つまり、ある人物が成功するまでに払った“犠牲”、それを描き出している、と。

あの当時の風潮とはいえちょっと厳しいです。面白さは保証つきですけど。ちなみに画像のキャラクターはお坊ちゃんで主人公の夢を応援していたアマチュアテニスプレイヤーですが陰謀によって手首の腱を断裂、再起不能と診断され、最後に彼女が世界のトップに上り詰めたのを観て・・・その“努力”を観まもっているうちに“再起”を考え行動に起こす、と。新世紀の“YAWARA!”です。お試しあれ。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

SLAMDUNK [漫画]

スラムダンク (31)

スラムダンク (31)

  • 作者: 井上 雄彦
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1996/10
  • メディア: コミック


漫画家、井上雄彦が描いたバスケットボールを題材にした作品。

続編が熱望される認知度の高い作品。一時流行った完全版という体裁のカラー原稿を復刻した豪華本が出版、売り上げも掲載誌で“現在も”上位という。人気連載を2本抱えているので静観するしかないと。まぁ定説として現在不定期連載中の「リアル」という作品がこの作品の続編ということで一つ、桜木花道は病気療養中、流川は世界に出て・・・と。ナガノミツルという両作品に登場している人物でそれを宣言し。虚飾をそぎ落とし手触りの現実感を感じられる作風へシフトしなければ現在は伝わりにくいんではないかという配慮なんですかね。「リアル」は不定期連載であるがゆえに“本音”の意味合いが強く、だからこそダイレクトに響くわけなんですが、“肯定性”という点では同じかと。

中学時代地元の不良どもに名を馳せていたチンピラの主人公・桜木花道は紆余曲折ありバスケ部に入部。そのバスケ部は強面の主将と人の良い副将のみで持っている弱小のチームだった。ど素人の彼を地味に育て続けるが彼は身体能力の“使い道”を知らず、単純な暴力で事が済んだ世界に生きていたため“技術”という概念を知らない。まぁようするにフィールドが違えばスキルも単なる勘違いで終わってしまう、それだけの話でもあるんですが。それぞれのポジションを担う登場人物が現れ、チームが完成し。一人集うごとに試合の色が変わり・・・ようするに選手が与えた影響力が確実に見て取れるってことだが、基本は主人公であり発展途上の桜木とある種完成し知名度と評価と努力の両立した同じチームのライバル・流川の交流か。流川はひたすら個人のスキルを上げチームとしてではなく自分自身の価値を高めることに精進しているため意思の疎通という点が唯一のウィークポイント、片や桜木花道は人柄を愛され雇われてる的な。彼がスポーツの選手になるということの本質的な意味合いを知る、一言で言うとそれだけというか。モチベーションを他に求めていても関わる事柄、それを掘り下げていけば周囲によって作り上げられた“役割”の本来の意味と意図とそれに対する理解を得ると。序盤は主人公をかませ犬という位置だと知らしめるために配置された役柄だったが、彼自身の物語も掘り下げていく。集っていくチームメイトたちは登場の際自己紹介代わりのエピソードをかましてあるが、もともといたセンターフォワードのキャプテン赤木、スモールフォワードのメガネ君こと小暮、そして点取り屋としてのパワーフォワードの流川、彼らのサイドストーリーを語る。その共通点は“継続”することの難しさ、と。

印象に残ったのはやはり最後の試合。名実共に伝統のある“常勝”を掲げる高校バスケの名門・山王工業。全国大会に出て地道に実力をみせ評判を獲得していた流川は、相手側のパワーフォワード、同じポジションであり山王始まって以来の“天才”と呼ばれる選手・沢北と対峙する。スキルの方向の類似性、そしてそのすべてで完全に上を行かれている彼になすすべもなく手玉に取られていく流川。主人公・桜木が惚れているヒロインで流川のファンである春子のモノローグ、積み上げてきたもの(技術も自信も名声もプライドも)がすべて壊れていってしまいそうだ、それが。個として生きることを選んだ彼のよりどころ、それがすべて失われると。ご丁寧に沢北の過去まで描写し、彼が性格まで似ていたことをに匂わせる。つまり、彼は個人主義の流川の到達点、“大人”として配置されているわけで。

地味に観察しつつ絶対に認めなかった主人公・桜木花道の成長を最後の最後で流川が認めるところで物語は終わる、と。当時のハッピーエンドとバッドエンドの極端さの中で“現実”を踏まえたエンディングにしたことで・・・って当たり前の話か。すみません。個人的に好きなキャラクターはオールマイティープレイヤーで中学時代MVPをとり鳴り物入りしたものの怪我に泣き普通にグレつつなり切れずどこか間抜けな不良に成り下がり、取り巻きの暖かい善意と敵側の気の利いた配慮でバスケ部に戻りつつ、ブランクに負い目を感じ“先輩”としての視点で後輩をコントロールする役割を自ら請負い・・・。ようするに、自分の才能の枯渇、それを自覚して立場をシフトした彼がチームメイトとプレイすることで意識はそのままに成長している、と。監督の安西先生の言葉がそれを肯定し。

先日企画で“最終回直後”を作者自身が描き、時間軸を2005年に設定しなおしてあるので、もしかしたらもしかするかもと期待を。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。